麻痺直前の表情


佐伯祐三についてネットで調べたら荻須高徳を紹介しているサイトにたどり着いた。

この作品「顔」(1929年)に描かれた人物は誰だか分からないから題名は「顔」となっている。 しかし、この人物は荻須高徳である。 荻須と交流していた画家山口長男、横手貞美、大橋了介等は、このようにダンディではなく、また、この顔の骨格でもない。先に紹介した作品「自画像」の人物と異なると言われるかもしれない。その違いは、次の3点である。
  仝が左右非対称である。
 ◆_須の目は真っ直ぐか、つり上がっているが、この作品の人物は目が垂れ下がっている。
  荻須と比べ顎が長い。
 この顔から何が分かるのだろうか。
 それは、この人物が強いストレスを受けたことが分かる。
 人は、ストレスを受けると顔は非対称になる。この人物の口は左右非対称である。また、悲しみの感情を抱くと目尻は下がる。また、放心状態で力が抜けてると下顎が落ちてくる。さらに力が抜けると、口は開き放しになり、よだれも垂れ下がる。

個人的にはこの絵が本人じゃないと判断した人はアホ?と思う。本気のストレスにさらされた事が無いのだろう。荻須画伯自身は顔面神経麻痺になったワケではないみたいだが、ここまで崩れるぐらいにストレスがかかったら、遺伝的にその傾向がある人は間違いなく発病すると思うな。

以前にwikipediaにマヤ文明の彫刻として顔面神経麻痺の人の像があった。顔面神経麻痺を表現した作品を探しているので、この絵のように一歩手前でも歓迎。他にも知っている人がいれば教えてください。



冒頭にリンクを張った「屋根裏部屋の美術館」で紹介していたこの「人形」の絵は酷い。あまりに酷い絵は見てる方の精神までをおかしくする力がある。けど、これを人形と言ってるアホがいるなら、美術の世界ってそんな低いの? 彼らが語れるのはゴッホの耳を切った自画像レベルであって、それ以上のDeepな顔は語るのをやめて「他の人」とか「人形」とか名づけて逃げているなんて。。

屋根裏部屋の美術館の作者が言うように、これは少女(弥智子)の顔を描こうとして途中で筆が止まったのだろう。自分の母親(米子)が父親(佐伯)の弟子(荻須)と浮気している瞬間を見てしまった娘の涙を、荻須は心の中にしまっておくことが出来なかった。だから書き始めたけど、筆はこれ以上進まなかったという解釈が、この少女の表情を一番物語っていると思う。

米子が、夫の佐伯と娘の弥智子を毒殺した。それを薄々知ってしまった荻須は確かにあれだけ表情が崩れると思う。

あのサイトを見つけて私も「天才画家『佐伯祐三』真贋事件の真実」(落合莞爾著)を読みました。僕もこの本は正しいと思ったし、それを踏まえた屋根裏部屋の美術館の作者の意見も正しいと思う。

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この「人形」と名づけられた表情にはもっと深い意味がある。顔面神経麻痺になった人は、「顔」の絵なんかじゃ救われない。「ああ、こういう顔ね、自分もしたよ」の一言で終わる。けど、この少女の根源的な泣き顔は違う。この少女の見た光景/運命の重さは、僕なんかより遥かに重い。だからこそ、この少女は皆に訴えたがっているのだと。それを正面から受けとめれるのは、「顔」じゃまだまだと思ってる人だから。

本人の顔を自画像と名づけず、少女の顔を人形と貶める世界にあって、この少女の絵を眺めることが鎮魂に繋がる。この絵が日本のどこにあるのかまでは調べてないけど、何処にあってもいつか必ず見に行こうと思ってる。ネットで調べると、まずは荻須画伯の故郷の稲沢市か。奇遇にも私の地元の名古屋の近くなので、帰省したついでに荻須記念美術館に行ってくるか。





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